最近、こんな言葉を聞きました。
“推しは鏡。推しを見るたび、自分も磨かれたくなる。”
それを聞いたとき、「あ、私のことだ」って思いました。
今日は、推しがいるからこそ、美意識が上がるという話を、私自身の体験を交えて書いてみたいと思います。

👀 推しに見られてるわけじゃないのに、美容を頑張れる不思議

推しは画面の向こうにいる存在。
リアルで会うことはめったにないし、会えてもこちらの顔なんて気づかれない。
なのに、「今日、肌荒れてるの無理…」「マスクの下、ちゃんと仕込んでおこう」
そう思う日って、たいてい推しが関係してる。
私にとって、推しは“美しさ”という概念そのもの。
その人の存在が、私の中の「もっと綺麗になりたい」を引き出してくれるんです。
🧴 スキンケアやメイクが“推し活”の一部になる瞬間

ライブに行く日、現場で写真を撮る日、オンラインイベントの日…。
そんな日は「推しに恥ずかしくない自分でいたい」って思う。
✔ パックをして早めに寝る
✔ 髪を整えてから寝る
✔ 新しいリップを買っておく
これ全部、推し活の一部。
いつの間にか美容のルーティンが“推しを想う時間”になってる。
💖 美しさ=“誰かに見せるため”じゃなく、“推しのための自分磨き”

昔は「誰かのために綺麗でいなきゃ」って思ってた。
でも今はちがう。「推しを見てる自分の目が、ごまかせない」。
推しがキラキラ輝いてるからこそ、
それに触れる自分も“まっすぐでありたい”って思う。
だから、美容は
「見られるため」じゃなく「推しの世界にふさわしい自分になるため」。
🪞 推しが“なりたい私”を引き出してくれる
推しの振る舞い、姿勢、生き方を見ていると、
「私もこうありたい」「こんなふうに歳を重ねたい」と思える。
それは、ただの憧れじゃなくて、
“未来の自分像”として落とし込める感覚。
美意識って、「誰かの正解」じゃなく「私の理想」から生まれる。
そして、推しはその理想をビジュアルでも感情でも見せてくれる存在。

推しに出会ってから、私は確実に変わりました。
美しくなりたい、整えたい、芯を持ちたい。
そんな気持ちが、日常の中でふわっと芽生えてくる。
これが「推しに生かされてる」ってことなのかもしれないな、と。
推しに会える日も、会えない日も。
美意識は、推しと私をつなぐ“静かな手紙”のような気がしています。
コメント